尾花座の歴史紹介〈 2012年8月27日 〉
お読みいただきありがとうございます。
当店、日本料理おばなのある『サンルート奈良』
既にご存知の方もいらっしゃるかも知れませんが由緒ある建物なのです
サンルート奈良と尾花座…そして、尾花座と日本料理おばな。
今回は『尾花座今昔物語』と称しましてご紹介いたします
時は、江戸時代末に遡ります
この頃には現サンルート奈良の建つこの地には小さな芝居小屋が建てられていたそうです。
画像は橋本信吉氏が明治40年に発行した奈良案内図です。
上記画像には当時の旅館等もあり、当時の芝居小屋近辺も描かれています。
明治42年10月、
ならまち有志の旦那衆の手により廻り舞台も備わった本格的な芝居小屋『尾花座』が建てられ、
当時の花形歌舞伎役者一行がこけら落とし興行を行いました。
数々の演劇・落語・浄瑠璃興行など、川上音二郎一座も公演を行った記録があり、
いつもスターが出入りし賑わっていたようです
そして、大正9年
映画産業の勃興で大阪市、その他で映画興行に従事しておりました中野家の先々代が尾花座を買収し
常設映画館尾花劇場として経営する事になりました。
≪参考写真:大正10年当時の写真≫
≪参考写真:昭和13年当時の写真≫
奈良市内で初めて映画興業がかけられた映画館です。
以来60年、奈良市民の方々にお引き立て頂き順調に推移しておりました。
≪参考写真:昭和21年正月の写真≫
戦後まもなく上映された『愛染かづら』の大ヒットは猿沢池まで行列ができたと今でも語り草となっております。
奈良在住の方々はご存知かと思いますが、サンルート奈良のお向かいにあるならまちセンターは昔、市役所でした(昭和52年2月に現庁舎に移転)。
この市役所の移転と映画の衰退に伴って劇場は昭和55年2月閉館、昭和56年 ホテルへと変化致しました。
サンルート奈良の玄関口にはかつてこの場所に尾花座があったという証の石碑があります。
当店、日本料理おばな は明治・大正・昭和にかけてこの地で愛された芝居小屋『尾花座』より
願いを込め名前を譲り受け屋号に致しました。
≪店内 藤の間≫
尾花座の跡地である、店内にはこれらの写真以外にも實録忠臣蔵大入御礼奉献額等の
数々の展示物がございます。
歴史を感じながらゆっくりと流れる時間…至福の瞬間です。
是非、奈良にお越しの際にはお立ち寄り下さいませ。